幼い頃からキープしている高いレベル

1999年に東京都で生まれ、元々スケートボードをしていた父親の影響で、本人も6歳の頃から遊びからスケートボードを始めました。
この頃から既に3メートルのバーチカルランプを滑るなど才能を発揮していました。
小学生の頃から国内大会に参加し、レベルの違いを見せつけ大会関係者を驚かせていました。
当時を知る人は、「雄斗は当時から他の人と違う技をやろうとしていた。」と頭角を現していた事を証言しています。

中学生になるとストリートスタイルを本格的に練習し始め、アメリカの大会にも参加するようになり、さらに高い技術を身に付けていきました。
高校時代には、2年連続で日本スケードボード協会の年間グランドチャンピオンになりました。
高校を卒業すると、プロのスケーターとして注目してもらう為にスケートボードの本場であるアメリカ・ロスアンゼルスに拠点を移しました。

2017年には、世界最高峰の大会である「ストリート・リーグ」に参戦し、初参戦にして表彰台に登り、翌年には日本人として初の優勝を果しました。
その後も数々の大会で優勝するなどし、その名を世界に響かせていきました。

本場アメリカのスケーター達も認めたプレイ

堀米選手のプレイは、スケートボードの本場アメリカでも「力みがない」と高く評価されています。
抜群のバランス感覚から生み出される安定感と巧妙なボードさばき、誰もやった頃のない革新的な技が彼のプレイの持ち味です。

堀米選手を小学生の頃から指導してきた早川大輔さんは、彼の強さの秘訣として、高い集中力と負けず嫌いなところ、したたかさだろうと話します。
技の練習中には、自らが納得いくまで徹底的に続け、微調整しながら技をものにしていきます。
友達同士でゲームで遊ぶ時には、自分が勝つまでやります。

さらに、大会前のウォーミングアップでは、他の選手が大技を練習している横でさらに難しい技の練習をし、相手のメンタルを攻撃し本番でも失敗させるという心理戦もやってのけてしまいます。
こういった彼の持つ素質が、彼を世界のトップスケーターへと押し上げたのでしょう。

堀米選手が目指すもの

メダル獲得よりも「自分がスケートボードを楽しんで滑っている姿を見てほしい」と語る堀米選手は、スケートボード界の今後に不安を抱いています。
例えば、日本のスケートボードの練習場所であるスケートパークは都内にはたくさんありますが、地方のスケートパークにはセクションが充実していない地域がまだ多くあります。
そういった状況をSNSなどの動画で見てきた堀米選手は、「誰かサポートしてくださる方がいれば、良い環境に変えて行きたい」と話します。
セクションの充実したスケートパークが増えれば、それだけ技術を身に付ける事が出来、世界に羽ばたく事の出来る若者が増えるでしょう。